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水戸地方裁判所 平成元年(ワ)49号 判決 1991年11月07日

乙事件・丙事件原告

藤沼すゑ

丙事件原告

藤沼友子

甲事件被告

同和火災海上保険株式会社

乙事件被告

住友生命保険相互会社

丙事件被告

三井生命保険相互会社

主文

一  甲事件参加人四名、乙事件原告藤沼すゑ、丙事件原告藤沼すゑ及び同藤沼友子の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、甲事件参加人ら、乙事件・丙事件原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(甲事件)

一  参加人らの請求の趣旨

1 被告同和火災海上保険株式会社(以下「被告同和」という。)は、参加人藤沼すゑ(以下「原告すゑ」という。)に対し四二〇〇万円、参加人藤沼和夫及び同藤沼幸子に対しそれぞれ一四〇〇万円、参加人藤沼友子(以下「原告友子」という。)に対し一二〇〇万円並びにこれらに対する昭和六二年一二月二九日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告同和の負担とする。

3 1につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告同和の答弁

1 参加人らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は参加人らの負担とする。

(乙事件)

一  原告すゑの請求の趣旨

1 被告住友生命保険相互会社(以下「被告住友」という。)は、原告すゑに対し、五〇〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一二月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告住友の負担とする。

3 1につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告住友の答弁

1 原告すゑの請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告すゑの負担とする。

(丙事件)

一  原告すゑ及び同友子の請求の趣旨

1 被告三井生命保険相互会社(以下「被告三井」という。)は、原告すゑに対し六〇〇〇万円、原告友子に対し一億円及びこれらに対する昭和六三年一月一八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告三井の負担とする。

3 1につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告三井の答弁

1 原告すゑ及び同友子の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

(甲事件)

一  参加人らの請求原因

1 被告同和は、損害保険業を営む株式会社である。

2 藤沼勇(以下「勇」という。)は、被告同和との間で、いずれも被告同和を保険者、勇を被保険者とする次の保険契約を締結した。

(一) 契約日 昭和六〇年三月二二日

保険の種類 積立フアミリー交通傷害保険

死亡保険金受取人 指定なし

指定のない場合は、その被保険者の法定相続人に支払う。

死亡保険金額 五〇〇〇万円

(二) 契約日 昭和六二年一一月二六日

保険の種類 自家用自動車保険(一般)

被保険自動車 普通乗用自動車(水戸三三す一六八〇・トヨタクラウン、以下「本件乗用車」という。)

保険金受取人 指定なし

指定のない場合は、その被保険者の法定相続人に支払う。

自損事故保険金額 一四〇〇万円

(三) 契約日 昭和六二年一二月一九日

保険の種類 積立家族(普通)傷害保険

死亡保険金受取人 指定なし

指定のない場合は、その被保険者の法定相続人に支払う。

死亡保険金額 二〇〇〇万円

3 勇は、昭和六二年一二月二八日午前四時四五分ころ、茨城県那珂郡那珂町大字飯田二二三九―三番地先路上で、本件乗用車を運転中、対向してきた大型貨物自動車(以下「本件貨物車」という。)と衝突し、その衝撃により死亡した(以下「本件事故」という。)。

4 原告すゑは勇の妻であり、参加人藤沼和夫、同藤沼幸子及び原告友子はいずれも勇の子である。

よつて、右各保険契約に基づき、被告同和に対し、原告すゑは保険金合計四二〇〇万円、参加人藤沼和夫及び同藤沼幸子はそれぞれ保険金合計一四〇〇万円、原告友子は保険金合計一四〇〇万円から水戸観光開発株式会社から債権差押えを受けた分を控除した一二〇〇万円並びにこれらに対する勇の死亡の日の翌日である昭和六二年一二月二九日から各支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告同和の認否

請求原因事実はすべて認める。

三  被告同和の抗弁

(被保険者の故意による免責)

勇の死亡は、次のとおり、同人の故意によるもの(自殺)であるから、被告同和に保険金支払義務はない。

1  本件事故の態様

(一) 本件事故現場の道路は、非市街地にある片側一車線の平坦かつ直線で見通しのよい舗装道路であり、本件事故当時路面は乾燥していた。

(二) 本件事故は、勇運転の本件乗用車が時速約一〇〇キロメートルを超える速度で進行し、道路の中央線をほぼ完全に越え、対向してきた本件貨物車(最大積載量九・七トン、車両重量一〇・〇三トン)の右前部に衝突したものである。

(三) 本件事故当時、勇の進路には、本件貨物車以外に先行車や対向車など走行を妨害するものはなかつた。衝突前に債務がブレーキをかけた形跡はなく、勇はシートベルトも締めていなかつた。

(四) 勇の進行方向からみると、本件事故現場に至る手前にはS字カーブが連続していること、S字カーブを終えた地点から本件事故現場までの間に時速約一〇〇キロメートルに加速するには、キツクダウンが必要であること、相手車両の運転者も、勇運転の本件乗用車が蛇行運転しているのを認めていないことなどから、衝突時に勇が居眠り運転をしていたとは認められない。

(五) 以上のように、道路状況その他から、本件事故の原因として、勇の運転操作ミスや居眠り運転は考えられない。

2  勇の経済状態

勇は、本件事故前、宅地建物取引業法上の免許を持たない不動産ブローカーなどをしていたが、死亡前はその経営がおもわしくなく、極めて多額の借財をかかえており、しかも、その借入先はいわゆる街金融からの分も相当あつたようである。一方、勇の資産で判明しているものは、居住していた土地建物のみである。勇は、死亡前には小切手の決済すらできず、支払不能の状態に陥つていた。現に死亡後は、多数の債権者から仮差押がされた。なお、勇の相続人は既に限定承認の申立てをしている。

3  勇の附保状態

右のとおり、勇は経済的破綻状態にありながら、異常に多額の保険に多数加入し、支払うべき保険料は年額にして合計七三九万三一四〇円に達していた。そのうち三つの保険は、死亡前九日間に相次いで加入したもので、勇の経済状態を考慮すると、極めて不自然である。特に、その中の一つの生命保険料一七六万五二四六円は死亡の前日の午後八時三〇分ころ保険外務員の自宅に届けられている。

四 抗弁に対する参加人らの認否

抗弁事実は否認する。

(乙事件)

一  原告すゑの請求原因

1 被告住友は、生命保険業を営む相互会社である。

2 勇は、昭和六二年一二月二五日、被告住友との間で、被告住友を保険者、勇を被保険者とする次の生命保険契約を締結した。

死亡保険金受取人 原告すゑ

死亡保険金額 五〇〇〇万円、災害による死亡のときは、災害割増特約によりさらに五〇〇〇万円

3 勇は、本件事故により死亡したが、右事故は不慮の事故である。

よつて、原告すゑは、被告住友に対し、右保険契約に基づき、死亡保険金五〇〇〇万円のうち二五〇〇万円及び災害死亡保険金五〇〇〇万円のうち二五〇〇万円の合計五〇〇〇万円及びこれに対する勇の死亡の日の翌日である昭和六二年一二月二九日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告住友の認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は否認する。被告住友は、昭和六二年一二月二三日、勇から、請求原因2の契約の申込みを受けたが、これに対し承諾をしていない。

3 同3のうち、勇が本件事故で死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  被告住友の抗弁

(災害死亡保険金の特約による免責)

1  災害(不慮の事故による)死亡保険金は、傷害特約及び条件付保険特約によるものであるが、右契約に適用される普通保険約款及び右各特約条項によると、保険事故が、「不慮の事故か故意かの決定されない自動車の衝突」である場合には、災害死亡金の支払事由とならないし、右条項に該当するかどうかの判断は、「当該損傷が不慮の事故か自殺か、あるいは他殺かが、医学または司法当局の調査によつて決定しなかつたとの記載のある場合において、用いられるものである」とされている。

2  本件事故を調査した茨城県那珂警察署は、勇の死亡原因について、自他殺等の判断ができないとしている。

四 抗弁に対する原告すゑの認否

抗弁1及び2は否認する。

(丙事件)

一  原告すゑ及び同友子の請求原因

1 被告三井は、生命保険業を営む相互会社である。

2 勇は、被告三井との間で、いずれも被告三井を保険者、勇を被保険者とする次の生命保険契約を締結した。

(一) 契約日 昭和六一年一一月二八日

死亡保険金受取人 原告すゑ

死亡保険金額 不慮の事故による死亡のとき

一億一〇〇〇万円

(二) 契約日 昭和六二年一二月二七日

死亡保険金受取人 原告友子

死亡保険金額 一億五〇〇〇万円

3 勇は、本件事故により死亡したが、右事故は不慮の事故である。

4 原告すゑ及び同友子は、昭和六三年一月一八日、被告三井に対し、保険金を支払うよう催告した。

よつて、右各保険契約に基づき、被告三井に対し、原告すゑは保険金一億一〇〇〇万円のうち支払を受けた五〇〇〇万円を控除した六〇〇〇万円、原告友子は保険金一億五〇〇〇万円の内金一億円及びこれらに対する勇の死亡の後である昭和六三年一月一八日から各支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告三井の認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2のうち、(一)の契約を締結したことは認めるが、(二)の契約を締結したことは否認する。被告三井は、昭和六二年一二月二五日、勇から、(二)の契約の申込みを受けたが、これに対し承諾をしたことはない。

3 同3のうち、勇が本件事故で死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。勇の死亡は、災害(不慮の事故による)死亡ではなく、普通死亡にあたる。そして、昭和六一年一一月二八日の生命保険契約には、第二年度に普通死亡した場合は五〇〇〇万円のみを支払うとの特約(保険金削減支払法特約)があり、被告三井は、昭和六三年四月五日原告すゑに対し五〇〇〇万円とその利息の合計五〇四四万一八六一円を支払つた。

4 同4の事実は認める。

三  被告三井の抗弁

1(被保険者の故意又は重大な過失による免責)

勇の死亡は、甲事件の被告同和の抗弁記載のとおり、同人の故意によるもの(自殺)、仮にそうでないとしても、同人の重大な過失によるものであるから、被告三井に災害死亡保険金の支払義務はない。

2(特約による免責)

(一) 請求原因2の(一)の契約の死亡保険金一億一〇〇〇万円は災害(不慮の事故による)死亡保険金であるところ、右保険金については、乙事件の被告住友の抗弁1と同旨の特約及び警察署の判断があつた。

(二) 本件事故を調査した茨城県那珂警察署は、勇の死亡原因について、自他殺等の判断ができないとしている。

四  抗弁に対する原告らの認否

抗弁事実はいずれも否認する。

第三当事者の提出、援用した証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目的記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  各保険契約の成否について

1  甲事件の各損害保険契約及び丙事件の生命保険契約のうち昭和六一年一一月二八日の契約が締結されたことは、当事者間に争いがない。

2  乙事件の生命保険契約

いずれも成立に争いがない丁第一及び第二号証、丁第四及び第五号証並びに証人城野公義の証言によると、勇は、昭和六二年一二月二三日午後九時過ぎころ、知人を通じて被告住友の大宮支部長の自宅に電話して同人を呼び出し、死亡保険金額一億円の保険に入りたい旨述べて話し合つた結果、死亡保険金額五〇〇〇万円、災害死亡のときはさらに五〇〇〇万円の生命保険に加入することになつたこと、被告住友の大宮支部では、翌二四日勇の保険契約の申込みを受け付けるとともに、診査医が勇の診査をしたこと、勇はそのころ半年分の保険料充当額四二万六九六〇円を払い込んだこと、異常の事実が認められる。

しかし、被告住友が右申込みに対し承諾したことを認めるに足りる証拠はない。かえつて、右各証拠によると、被告住友では、現場の支部で受け付けた保険契約申込書と診査医の作成した診査書を本社に送付し、特に主保険金額が五〇〇〇万円以上の高額の場合は、すべて本社で確認の上諾否決定をしていたこと、勇からの申込書は、同月二六日に被告住友の水戸支社を経由して本社に発送されたが、本社到着前に本社では新聞記事と本社に送信されてきたフアクスで勇の死亡を知り、その後種々調査した結果、勇からの右申込みを承諾しないことに決定し、昭和六三年二月中旬その旨を原告すゑに通知するとともに、勇が払い込んだ保険料充当額を返還する旨申し出たが、同原告がこれに応じなかつたので、保険料充当額を供託したこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

そうすると、乙事件の生命保険契約については、被告住友の承諾がないから、右保険契約は未だ成立していないというべきである。

3  丙事件の生命保険契約のうち昭和六二年一二月二七日の契約

いずれも成立に争いがない丙第三号証の一、二、丙第四及び第五号証並びに証人岩間博子及び同鈴木博の各証言によると、勇は、昭和六二年一二月一五日ころ自宅で、前年の契約の際にも勧誘を受けたことのある被告三井の水戸支社の岩間博子の勧誘を受け、前年貯蓄型の生命保険とは異なる保障型(同じ保険料でも死亡の場合の保険金が高額となる)の生命保険に加入することとし、生命保険契約申込書に記入をしたこと、水戸支社では、同月二五日診査医が勇を診査し、右申込書に申込日として同月二五日と記入したが、同日には勇から保険料充当額の支払がなかつたこと、勇は、同月二七日の日曜日の午後八時過ぎころ、岩間の自宅を訪れ、半年分の保険料充当額九六万円余りを支払い、岩間は翌二八日水戸支社に入金したこと、以上の事実が認められる。

しかし、被告三井が勇の右申込みに対し承諾したことを認めるに足りる証拠はない。かえつて、右各証拠によると、被告三井では、本社において、営業所や支部から送付された保険契約申込書と診査医から送付を受けた診査報状を確認の上諾否決定をしていたこと、勇についての診査報状は昭和六二年一二月二八日に本社に送付されたが、申込書は翌年一月四日本社に送付されたこと、本社では、昭和六二年一二月二九日水戸支社からの連絡で勇の死亡を知り、その後種々調査した結果、勇からの申込みを承諾しないことに決定し、昭和六三年三月ころ、電話や書面で原告友子に対し、その旨通知するとともに、保険料充当額を返還する旨申し出たが、同原告がこれに応じなかつたこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

そうすると、丙事件の生命保険契約のうち昭和六二年一二月二七日の契約についても、被告三井の承諾がないから、右保険契約は未だ成立していないというべきである。

二  被告同和及び同三井の被保険者の故意(被告三井については、又は重大な過失)による免責の抗弁について

勇が本件事故により死亡したことは、当事者間に争いがない。

被告同和は、勇の死亡は勇の故意による(自殺)であるから、保険金の支払義務がない旨主張し、被告三井も、勇の死亡は勇の故意によるもの(自殺)、仮にそうでないとしても、重大な過失によるものであるから、災害死亡保険金の支払義務がない旨主張するので、以下この点について検討する。

1  本件事故当時の勇の経済状態

(一)  いずれも成立に争いがない乙第一号証の一、二、乙第七号証の三、九ないし一四、一六、乙第一四号証の一、二、丙第一及び第二号証、丁第三号証、戊第七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一二号証、証人藤沼すゑ、同石崎秀雄、同岩間博子、同鈴木博及び同城野公義の各証言、甲事件参加人藤沼友子及び甲事件参加人、乙事件・丙事件原告(以下「原告」という。)藤沼すゑ各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、原告藤沼すゑ本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用できず、他に認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 勇は、林業と不動散ブローカーをしていたが、林業の方は、参加人和夫が長女の原告友子と婚姻するとともに、勇の養子となつてからは、ほとんど参加人和夫に任せていた。勇には、宅地建物取引業法の免許がなかつたため、不動産取引が成立したときには、免許を有していた他人の名義を借りていた。勇は、昭和五八年ころからは、東急建設株式会社と茨城県金砂郷村が計画した同村の工業団地の造成に関して、東急建設から用地買収を依頼されたミツトミ商事から更に依頼されて、地権者から用地を取得するなどの仕事をするようになり、そのうち住所地である大宮町の隣の金砂郷村に一人で事務所を借り、その仕事に従事していた。不動産関係は、勇の二女の参加人幸子が一時事務的な仕事を手伝つていた程度で帳簿等は作成されていなかつた上、その勇が死亡したため、詳細は不明であるが、勇は、用地取得の資金等として、金融機関や知人ばかりでなく、いわゆる高利貸しからも多額の借入れをするなどしており、死亡当時には極めて多額の債務を負担していた。勇の死亡後、被告住友が調査したところでは、約五億円であり、被告三井が調査したところでは、三億から四億円であつたが、勇の相続人らに対し請求のあつた債権者は合計五〇名、その債権額は合計一〇億円を超えており、そのうち、銀行、信用金庫のような金融機関の債権額はむしろ少なく、いわゆる街金融業者の債権額が大部分を占めていた。

(2) 勇は、本件事故当時時価約二〇〇〇万円相当の木造瓦葺二階建の建物一棟と時価合計約八〇〇〇万円相当の山林を所有していたが、右建物には、極度額一億〇六〇〇万円の根抵当権及び被担保債権一〇〇〇万円の抵当権が、右山林には、極度額一億〇八〇〇万円及び二一六〇万円の各根抵当権と被担保債権四〇〇万円の抵当権が、それぞれ設定されており、いずれも担保権は不動産の時価を超えるものであつた、勇には、他にめぼしい資産はなく(本件乗用車はまだ代金が未払である。)、本件の各種保険金と勇が昭和五四年に日本生命保険相互会社(以下「日生」という。)との間で契約した死亡保険金額二五〇〇万円の生命保険金だけが債務返済に充てることのできる資産といえるものであつた。

(3) 勇は、昭和五七年に兼松江商株式会社から購入した土地の残代金一六〇〇万円の支払期日であつた昭和六二年一一月三〇日に、同年一二月一〇日付けの先日付小切手でその支払をしたが、この小切手は決済されず、兼松江商からその支払を請求されていた。勇は、同月二三日ころ兼松江商の担当者に対し、近く二〇〇〇万円ほどの金が入るので同月二八日(本件事故当日)には支払う旨約束したが、この間の同月二一日には、債権者の坂東忠男から要請で、同人に対する債務につい準消費貸借契約を締結し、参加人ら補助参加人を連帯保証人とするとともに、参加人ら補助参加人所有の不動産を担保として提供し、金額六〇〇〇万円の公正証書も作成しなければならなかつた。勇は、同月二三日には、ミツトミ商事の石田社長に対し、借用を申し入れ、本件事故の前日の同月二七日午前一〇時ころにも、同人に対し借用を申し込んでいたが、いずれも断られてしまい、右残代金の支払の手当てができなかつた。また、同日午後七時ころには、勇の死亡後相続人に対し四〇〇〇万円の債権の請求をしているいわゆる街金融業者に呼び出しを受けて、同人方に赴いた。勇の生前、大宮町の自宅に返済を求めにきた債権者も少なくなかつた。

(4) 兼松江商では、勇が残代金を支払う旨約束していた本件事故当日支払がなかつたので、勇方に電話し、早朝に勇が事故で死亡したことを知り、翌二九日勇方を訪問し、原告すゑが受取人となつていた日生の保険金二五〇〇万円の一部を債権譲渡してもらうこととし、その旨の書面を作成した。その後昭和六三年一月一三日ころから、いわゆる街金融業者である勇の債権者らが、勇の保証人である原告すゑを債務者、被告住友や被告三井を第三債務者として、相次いで保険金請求権の債権仮差押を申請するに至つた。

(5) 勇の相続人である原告すゑ、同友子、参加人和夫及び同幸子は、勇の負債が予想を超える極めて多額なものであつたため、昭和六三年三月一八日相続限定承認の申述を申し立て、水戸家庭裁判所常陸太田支部は、同年七月二九日右申述を受理し、参加人和夫を相続財産管理人に選任した。

(二)  右認定の事実によると、勇は、専ら宅地建物取引業法の免許のない不動産ブローカーをしていたが、本件事故当時一〇億円というような極めて多額の借財をかかえており、その債務の大部分はいわゆる街金融からのものであつて、当時の勇の資産では到底返済できるものではなかつたというのであるから、勇が死亡し、その詳細が不明のため、勇が有していたであろう債権も不明となつていることを考慮しても、その経営状態は極めて不良であることが明らかである。

そして、勇は、昭和六二年一二月一〇日過ぎには、小切手の決済すらできず、また、債権者から要求され、準消費貸借契約を締結し、第三者を連帯保証人とし、その担保を提供してもらつた上、公正証書を作成しなければならない状況になつており、本件事故当日に支払を約束していた土地残代金の支払の手当てもできなかつたというのであるから、既に支払不能の状態に陥つていたというべきである。前記工業団地造成にあたつて、勇に用地の取得を依頼し、その関係で勇の経営状況も十分知つていたと推認されるミツトミ商事の石田社長が、勇からの借用申入れを断つていることも、勇の支払不能の状態を裏付けるものである。

さらに、本件事故の前日には、高額の債務を負担していたいわゆる街金融業者から呼び出しを受けて、同人方に赴いているが、そこで強く支払を求められたであろうことも想像に難くない。また、現に死亡した翌日には、早速債権者から、勇の相続人に対し債務返済の要求があり、その後も相次いでいわゆる街金融業者である債権者から仮差押がされているというのであるから、債権者からの返済要求も、相当厳しいものがあつたと推認される。

勇の右のような経済状況をみると、勇には、最早保険金以外には、他に債務返済の手段は残されていなかつたといわざるを得ず、勇もそのことを十分に認識していたと推認することができる。

2  本件事故当時の勇の附保状況

(一)  前記争いのない事実と前記認定の事実によると、勇の保険契約は次のとおりである。

(1) 勇が昭和六一年までの間に締結した保険契約は、<1>昭和五四年に日生との間で締結した死亡保険金額二五〇〇万円の生命保険契約、<2>昭和六〇年三月二二日被告同和との間で締結した死亡保険金額五〇〇〇万円の積立フアミリー交通傷害保険契約と<3>昭和六一年一一月二八日被告三井との間で締結した不慮の事故による死亡のとき保険金額一億一〇〇〇万円の生命保険契約である。

(2) その後昭和六二年一二月中旬までに勇が締結した保険契約は、<4>同年一一月二六日に締結した本件乗用車についての自損事故保険金額一四〇〇万円の自家用自動車保険(一般)契約と<5>同年一二月一九日に締結した死亡保険金額二〇〇〇万円の積立家族(普通)傷害保険契約である。

(3) 勇が契約の申込みをしたが、契約が成立しなかつた保険契約は、<6>昭和六二年一二月二四日被告住友に申込みをした死亡保険金額五〇〇〇万円、災害による死亡のときは、災害割増特約によりさらに五〇〇〇万円の生命保険契約と<7>同月二五日被告三井に申込みをした死亡保険金額一億五〇〇〇万円の生命保険契約である。

(二)  次に、前記一1、2に認定した事実と、前掲丁第一号証、いずれも成立に争いがない丙第六号証、戊第三及び第四号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、右各保険契約の年額の保険料は、右<1>ないし<7>を合計すると、七四〇万円近く達し、特に、勇がその死亡の直前の一〇日間に<5>ないし<7>の半年分の保険料ないし保険料充当額として払い込んだ金員は約一六二万円に達していることが認められる。

そして、<6>の生命保険契約の申込みにあたつては、勇は、昭和六二年一二月二三日午後九時過ぎころ、知人を通じて被告住友の大宮支部長の自宅に電話して同人を呼び出し、死亡保険金額一億円の保険に入りたい旨述べており、勇からの自発的な申込みであつたこと、<7>の生命保険契約については、勇は、本件事故発生の約九時間前にあたる同月二七日の日曜日の午後八時過ぎころ、被告三井の水戸支社の岩間の自宅を訪れ、半年分の保険料充当額九六万円余りを支払つていることは、前記認定のとおりである。

(三)  右(一)及び(二)の事実と、前記二1の事実を合わせ考えると、勇は、本件事故当時経済的破綻状態にありながら、その死亡直前の一〇日間という短期間に、約一六二万円もの保険料ないし保険料充当額を支払つて、災害死亡の場合には保険金額合計二億七〇〇〇万円という従前のすべての保険契約の保険金額を上回る保険に相次いで加入しないし加入しようとしたものであり、しかも、そのうち一件は自発的に加入しようとしたものであり、また、他の一件は本件事故発生の約九時間前に保険会社の従業員の自宅に保険料充当額を届けているというのであつて、極めて異常で不自然であるというべきである。

3  本件事故の態様

(一)  事故現場の状況、衝突の概況

いずれも成立に争いがない乙第二及び第一一号証、戊第五号証、証人三村好文の証言により真正に成立したものと認められる乙第六号証、本件事故現場の写真であることに争いのない乙第八号証の一ないし二八、証人山崎勝の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証の二九、三〇、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一三号証、証人三村好文、同山崎勝及び同笹目栄の各証言によると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(1) 本件事故現場の道路は、非市街地にある幅員約六・九メートル、片側一車線の平坦かつ直線で見通しのよい舗装道路であり、本件事故当時路面は乾燥していた。最高速度五〇キロメートル毎時、追越しのための右側部分はみ出し通行禁止となつており、標識は正常に設置されており、路面表示もはつきりしていた。本件事故は午前四時四五分ころ発生したもので、明け方前で周囲は暗かつた。また、交通量は少なく閑散としていた。

(2) 本件事故は、勇運転の本件乗用車と三村好文運転の本件貨物車が正面衝突したものである。三村は、本件貨物車を運転し、大宮町方面から勝田市方面に向かつて前照灯を下向きにし本件事故現場に差し掛かつたところ、前照灯を点けて対向してきた本件乗用車を発見した。本件乗用車は中央線寄りであつたが、通常の走行と変わりなかつたので、三村は、そのまま進行していつたところ、本件乗用車が中央線を越えて進行してきたので、危険を感じて、ハンドルを左に切り、急制動の措置を講じたが、本件貨物車の右前部と本件乗用車の右前部が衝突してしまつた。本件貨物車のスリツプ痕は、衝突地点から約七・五メートル進行した地点から刻されており、急制動が効いたのは、衝突後であると推定される。衝突地点は中央線から三村の進行車線に約七〇センチメートル入つたところであり、両車両の衝突面は互いに約六〇センチメートルであつた。事故の原因は本件乗用車が対向車線に進入したことによるものである。

(3) 本件乗用車は排気量二九五〇cc、車両重量一・五三トンの車であり、本件貨物車は本件事故当時空車であつたが、車両重量一〇・〇三トンの車であつた。勇と三村の体重をいずれも五五キログラムとすると、本件貨物車の総重量は本件乗用車の総重量の約六・三六倍である。本件乗用車は、前部と右側面を中心として大破し、右前輪も脱落しているが、ルーフ・パネルに本件貨物車のコーナーラバーにより印象されたと推定される痕跡があることから、本件貨物車と衝突した後、大破しながら本件乗用車の右後輪付近まで本件貨物車の下に潜り込んだものと推定される。勇は、その衝撃により運転席のシートと共に後部座席まで倒れ、仰向けとなつてしまつた。衝突後、本件乗用車は、前部が右に約一二〇度回転しながら約八メートル押し戻されて停止した(衝突地点から停止した本件乗用車の運転席までの直線距離は、約七・八メートルであり、衝突地点から停止した本件乗用車の前部中央付近までの直線距離は、これより短くなるが、本件乗用車のラジエーター水は弓状に漏れているので、本件乗用車もこの線に沿つて押し戻されたと考えられる。衝突地点からこの弓状の線に沿つて停止した本件乗用車の前部中央付近までの距離を計測すると、約八メートルとなる。)。

(4) 本件事故が発生したときには、現場には本件乗用車と本件貨物車以外に他の車両はなく、勇と三村の双方の視界を妨げる物はなかつた。衝突前に本件乗用車が急制動の措置を講じた形跡はなく、勇はシートベルトも締めていなかつた。

(二)  衝突直前の本件乗用車と本件貨物車の速度

本件乗用車の衝突直前の速度について、前掲乙第六号証には、時速一〇〇キロメートル以上であるとの記載があり、証人山崎勝の証言中にも、これに沿う供述部分がある。

しかしながら、右乙第六号証及び山崎証言によると、その主たる根拠は、本件乗用車の塑性変形量から計算すると、衝突直前の速度は、本件乗用車が時速一六〇キロメートル以上、本件貨物車が時速八〇キロメートル以上となるからというものであるが、そもそも本件乗用車の速度が時速一六〇キロメートル以上であるということは、本件事故現場付近の道路状況等からみて、考え難いものというべきである。また、右各証拠によると、塑性変形量については、時速九〇キロメートル以上の速度で衝突した場合の実験結果がないことが認められる上、本件貨物車の衝突直前の速度については、証人三村好文は、時速六〇キロメートル一寸と証言しており、証人笹目栄の証言によると、これは本件貨物車のタコメーターの記録とも一致し、信用できるものであることが認められることに照らすと、右記載及び供述部分は、採用できない。

また、右乙第六号証及び山崎証言中には、本件貨物車は、衝突後三八メートル滑走しており、衝突後は砂利道の方に入つて行き、かつ若干の下り勾配であることを考慮して平均の摩擦係数を〇・四とすると、衝突直後の速度は時速六二キロメートルになるから、衝突直前は少なくとも七〇キロメートル以上であり、本件貨物車の衝突直前の速度を時速七〇キロメートルとして、運動量保存の法則を使用して算定すると、本件乗用車の衝突直前の速度は、時速九三・六キロメートルになるとの記載及び供述部分がある。

しかしながら、右乙第六号証及び弁論の全趣旨によると、時速六二キロメートル、摩擦係数〇・四の場合の三八メートルというのは、いわゆる制動距離(滑走距離)、換言するとスリツプ痕の長さを指すことが明らかであり、前掲乙第二号証及び戊第五号証によると、本件貨物車は、衝突後約三八メートル進行しているが、スリツプ痕は最も長いものでも約二三・八メートルであることが認められ、右乙第六号証によると、滑走距離二三・八メートル、摩擦係数〇・四とすると、速度は時速五〇キロメートル弱となることが認められる。そうすると、右記載及び供述は、本件貨物車が衝突後進行した距離をすべて滑走距離(制動距離)とした点において、誤つた前提に立つものであるから、これもまた採用できない。

さらに、前掲乙第一二号証にも、那珂警察署の交通係長が本件乗用車の衝突直前の速度を時速八〇キロメートル以上であると示唆した旨の記載があるが、証人笹目栄の証言に照らし、採用できない。

前掲乙第二号証及び戊第五号証、証人三村好文及び同笹目栄の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件貨物車の衝突直前の速度は、時速約六〇キロメートルであり、本件乗用車の衝突直前の速度も、これと同程度であつたと認めるのが相当であつて、他に右認定を覆す証拠はない。

(三)  両車両の速度等も考慮した事故の態様

右(一)及び(二)に認定した事実によると、本件乗用車と本件貨物車は、ほぼお互いに時速約六〇キロメートルの速度で正面衝突したことになり、衝突後、本件乗用車は、前部が右に約一二〇度回転しながら約八メートル押し戻されて停止している。衝突後の勇の状況からみて、勇の制動操作はなかつたと考えられるが、本件乗用車は、前部と右側面を中心として大破し、右前輪が脱落しているから、車体の一部が直接路面と接触しながら押し戻されたものと推定され、結果的には一種の制動操作があつたとみることができる。前掲乙第六号証中には、衝突直後の本件乗用車の速度は、時速一一・八キロメートルとの記載がある。この速度を採用することができるとすると、本件乗用車は、結果的には、時速七〇キロメートル以上の速度で固定壁に衝突したのとほぼ同様であつたと認められる。

勇が居眠り運転ではなく、覚醒し前方を見ながら運転していたとすると、対向してきた本件貨物車の前照灯の高さなどから判断して、衝突前には、対向車が大型車であることを認識できたものと推認することができる。明け方前の交通閑散な道路であるから、その速度も六〇キロメートル程度は出ていることも容易に予想できるところである。

そして、衝突地点は中央線から三村の進行車線に約七〇センチメートル入つたところであり、両車両の衝突面は互いに約六〇センチメートルであるが、前掲乙第二号証及び戊第五号証、証人三村好文の証言によると、三村は、本件貨物車の右端と中央線との間に二〇ないし三〇センチメートルの間隔を空けて進行してきたことが認められ、本件乗用車との危険を感じてからは、ハンドルを左に切つているのであるから、この間隔は更に広がつていたはずである。仮に少なく見積もつてこの間隔が三〇センチメートル程度であつたとしても、衝突面のうち最も三村の進行車線に入つた地点は、この間隔に衝突面の幅約六〇センチメートルを加えた、中央線から約九〇センチメートルの地点となる。片側一車線のさして広くない道路で、大型車が対向してくるのに、約九〇センチメートルも対向車線にはみ出せば、衝突の危険があることは明らかであり、お互いの速度等も考慮すると、死の危険があることも容易に予想できるというべきである。

前掲乙第一四号証の二によると、勇の自動車の運転歴は本件事故まで約三〇年間もあるが、その間、山で霧のため見えなくて藪にぶつかり一寸怪我をしたことがあるだけであつたことが認められる。このような勇の運転歴からみると、勇が居眠り運転でなく、覚醒状態であつたとすると、本件事故時における勇の運転操作は、極めて異常なものであつたというべきである。

(四)  勇の居眠り運転の可能性

前掲乙第八号証の一ないし三〇、乙第一三号証、証人山崎勝の証言により真正に成立したものと認められる乙第九号証、同証言及び証人笹目栄の証言によると、勇の進行方向からみて、本件事故現場の手前には、S字カーブがあり、自動車を運転してこのS字カーブを通過するには、的確なハンドル操作をしなければならないことが認められるから、勇が本件乗用車を運転してこのS字カーブを通過したときには、覚醒状態でハンドル操作をしていたことが明らかである。特に時速約六〇キロメートルもの速度でこのS字カーブを通過しようとすれば、かなりの緊張状態に達するであろうことも容易に推認することができる。

次に右各証拠によると、このS字カーブを通過し終えてから、本件事故現場の衝突地点までは、約五〇〇メートルあり、この間はほぼ直線の道路で、その先も数百メートルはほぼ直線の道路であつて、見通しがよいこと、このS字カーブを通過し終えてから約三〇〇メートル先、衝突地点の手前約二〇〇メートルのところには、信号機が設置されている交差点があること、このS字カーブを通過し終えれば、右信号機も認識することができること、以上の事実が認められる。

本件乗用車の速度は、前記認定のとおり、時速約六〇キロメートル(秒速一六・六六七メートル)であるから、このS字カーブを通過し終えてから、衝突地点までは約三〇秒、右信号機までは約一八秒で到達することとなる。本件貨物車の速度も、前記認定のとおり、時速約六〇キロメートルであるから、本件乗用車が衝突地点から約二〇〇メートル手前の右交差点を通過するころには、本件乗用車の前方約四〇〇メートル付近に接近しており、見通しもよく、他に先行車や対向車はないのであるから、そのころには、本件貨物車の前照灯が勇の視界に入ることが可能な位置にあつたと推測される。信号機の信号や対向車の前照灯は一種の刺激となると考えられるから、右S字カーブを通過し終えると、右信号機の信号が視界に入つて刺激となり、この信号機の設置された交差点を通過するころには、本件貨物車の前照灯が視界に入つて刺激となるはずである。

そうすると、勇が居眠り運転の状態で本件貨物車と衝突するためには、覚醒状態でハンドル操作をして右S字カーブを通過し終えてから、視界に入つてきたであろう右信号機にも反応することもなく、すぐ(約一八秒以内)居眠り状態に陥り、そのまま信号機の設置されている交差点を通過して本件事故現場に至るか、又は、右信号機までは覚醒しており、信号機にも反応したが、そのころ視界に入つてきたと推測される本件貨物車の前照灯には反応しないで居眠り状態に陥つた場合しか考えられない。覚醒状態でハンドル操作をした後十数秒以内で居眠り状態に陥る可能性は極めて少ないと考えられ、また、信号機に反応しながら、そのころ視界に入つてくるはずの本件貨物車の前照灯に反応しないで居眠り状態に陥ることもまた極めて少ないと考えられる。

前掲乙第一四号証の一、二、参加人藤沼友子及び原告藤沼すゑの各本人尋問の結果中には、勇は、本件事故当時仕事が忙しく、睡眠時間も短く、疲れていたとの記載及び供述部分があるが、仮にそうであるとすれば、本件事故現場に到達する以前に右S字カーブで路外に逸脱するなどしてしまう可能性が十分にあるのであつて、このS字カーブを無事通過することができたとすれば、本件事故現場でも、中央線を越えることなく、進行できるものと推認するのが相当である。

証人笹目栄の証言中には、見通しのよい直線道路であること、交通が閑散であること、早朝であることから、居眠り運転の可能性がある旨の供述部分があるが、これらの根拠は、いずれも勇の運転が勇の故意に基づくものであることを推定させる根拠ともなり得るものであるから、この事実だけで勇が居眠り運転をしていたと断定することはできない。

以上のとおりであるから、本件事故現場の衝突地点付近では、勇が居眠り状態であつた可能性は極めて少なく、かえつて覚醒状態で運転していたものと推認するのが相当である。証人三村好文の証言によると、本件乗用車は中央線を越えてくるまで蛇行運転をしていないことが認められ、この事実は勇が居眠り運転をしていなかつたことを裏付けるものというべきである。さらに、前記認定のとおり、勇の自動車の運転歴は本件事故まで約三〇年間もあるが、その間、霧のため藪にぶつかり一寸怪我をしたことがあるだけであるというのであるから、このような勇の過去の運転歴からみても、勇が重大な事故の原因となる居眠り運転をするとは考え難い。

4  本件事故の前日及び当日の勇の行動

(一)  勇が、本件事故の前日の昭和六二年一二月二七日午前一〇時ころ、ミツトミ商事の石田社長に対し、借用を申し入れたが、断られてしまつたこと、同日午後七時ころには、勇の死亡後相続人に対し四〇〇〇万円の債権の請求をしているいわゆる街金融業者から呼び出しを受けて、同人方へ赴いたこと、同日午後八時過ぎころ、被告三井の水戸支社の岩間の自宅を訪れ、半年分の保険料充当額九六万円余りを支払つたことは、前記認定のとおりである。

そして、前掲乙第一二号証、乙第一四号証の一、二、証人岩間博子及び同笹目栄の各証言、参加人藤沼友子及び原告藤沼すゑの各本人尋問の結果によると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

本件事故の前日の二七日午後五時三〇分過ぎころ、横浜市所在の日永スチールという会社の関係者が、近くのゴルフ場でゴルフをした帰りに、勇が不在中の勇方を訪れた。午後六時ころ帰宅した勇は、そのことを聞くと、同社にこちらから伺いたい旨の電話をしていた。勇は、午後八時過ぎころ訪れた岩間の自宅に一時間くらいいた後、自宅に寄つてから県外に行くことを告げて帰宅し、その後午後一一時ころ、妻の原告すゑから、明日の朝になつてから行つてはどうかと勧められたのに、明日の朝までには着かなければならない、夜中は混んでいないから明日の朝までに着くように行くと言つて本件乗用車で横浜に出かけて行つた。しかし、勇に日永スチールには行かなかつた。常磐高速道路は、二七日午後九時一〇分から霧のため視界不良で水戸、土浦北間が時速八〇キロメートルに規制され、更に、二八日午前二時二五分から午前六時三〇分まで那珂、柏間が通行止めとなつた。二七日午後一一時ころ自宅を出てからその後本件事故までの勇の行動は不明である。原告すゑは、勇が出かけてから、長女友子の借家に行つて泊まつた。本件事故現場は、常磐高速道路の那珂インター・チエンジを下りて最初の信号機のある交差点から約一・四キロメートルの位置にあり、勇の住所地の大宮町に通ずる道路上である。

(二)  早朝に横浜に着かなければならないとしても、大宮町の自宅を午後一一時ころ出発するのは、早すぎて不自然である。出かけてからそのまま常磐高速道路で行つたとすれば、霧のため通行止めになる前に柏インターを通過することが可能であるから、横浜に行つているはずである。そうすると、水戸かどこかで時間を潰した後、高速道路を利用して横浜に行こうとして、那珂インター・チエンジに赴いたが、既に通行止めとなつており、しばらく待つたが通行止めが解除されそうもなかつたので、横浜に行くのは諦め、自宅に戻ろうとして、本件事故現場に差し掛かつたと考えて、はじめて、勇が本件事故発生の時間帯に本件事故現場を走行していたことを何とか合理的に説明することができる。

しかし、何の目的で横浜に行こうとしたのかは、不明である。前掲乙第七号証の三、乙第一二号証によると、勇と日永スチールとの間には、債権債務関係はないと認められる。多額の負債をかかえていた勇が暮れも押し迫つてきた一二月二八日にわざわざ横浜まで赴かなければならないような事情をうかがうに足りる証拠はない。この点で、勇の行動には、不自然なものがあるといえる。

5  以上、1ないし4で検討したように、勇は、本件事故当時、極めて多額の負債をかかえ、最早保険金以外には、他に債務返済の手段は残されていないという経済的破綻状態にあり、勇もそのことを十分に認識していたこと、そのような経済状態にあるのに、勇は、本件事故発生の約九時間前に保険会社の従業員の自宅に保険料充当額を届けるなどして、その死亡直前の一〇日間という短期間に、約一六二万円もの保険料ないし保険料充当額を支払つて、従前のすべての保険契約の保険金額を上回る多額の保険に相次いで加入しないし加入しようとしたものであること、本件事故は、片側一車線のさして広くない道路を大型車が相当の速度で対向してくるのに、乗用車を運転して約九〇センチメートルも対向車線にはみ出して衝突するという死の危険が容易に予想できるものであり、しかも、本件事故発生当時勇は居眠り運転ではなく、覚醒状態で運転していたと認められること、本件事故の前日及び当日の勇の行動には、不自然なものもあること、を総合判断すると、本件事故は、勇の故意によるもの(自殺)と推認するのが相当である。

したがつて、被告同和及び同三井の被保険者の故意による免責の抗弁は、理由がある。

三  結論

原告すゑの被告住友に対する乙事件の保険金請求は、乙事件の生命保険契約が未だ成立していないから、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

原告友子の被告三井に対する丙事件の保険金請求も、丙事件の生命保険契約のうち昭和六二年一二月二七日の契約が未だ成立していないから、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

原告すゑ、同友子、参加人和夫及び同幸子の被告同和に対する甲事件の各保険金請求、原告すゑの被告三井に対する丙事件の保険金請求は、被告同和及び同三井の被保険者の故意による免責の抗弁が成立するから、いずれも理由がない。

以上の次第であるから、原告すゑ、同友子、参加人和夫及び同幸子の甲事件の本訴請求、原告すゑの乙事件の本訴請求、原告すゑ及び同友子の丙事件の本訴請求を、いずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小野田禮宏)

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